滞留する彫刻

ヴァニタス画を彷彿とさせる重厚な書物に載せられた頭蓋骨、神殿の遺跡のごとく会場に配された列柱。釉薬をかけられたセラミックがもつ独特の質感や艶やかな色彩によって、桑名紗衣子の彫刻の佇まいはきわめて荘厳であり、審美的な性質をそなえている。一方で、例えば《Stuffed Object “Tiger”》にみられる陶製の白い虎は、全身に施された花柄や四足を覆うソックスが日常の卑俗さを連想させ 、その内奥から響く粗雑な虎の鳴き声はいかにも虎の偽物として、安っぽい置物の素振りをみせている。

初期の制作において、西洋の教会建築にみられる豪奢な窓枠の内側に、葛飾北斎の「諸国滝廻り」の図版を転写した作品があるように、そこでは西洋/東洋、立体/平面といった対立する要素が意図的に構造化されていたが、二項対立を一つの作品に内包させるという特徴は、近年ますます複雑化していっているようだ。イメージや記憶の引用の連鎖が織りなす桑名の作品は、くわえて型や転写紙といった複製技術を用いて反復される断片的な装飾によって、唯一性/複数性、崇高/キッチュを絶えず往還する異形のキメラと化している。それはまた、きわめて絵画的なシミュラークルの過剰さによって、表層が支配された彫刻ともいえるだろう。

セラミックがもつ重厚さと、それに相反するイメージの軽さが同居をはたす作品の背景には、膨大な情報を消費することに馴化してしまった私たちの受動的な認識行為への作者の疑いが、おそらく潜んでいる。鑑賞者の眼前に、加算的な組成によるおびただしいイメージが表面にまとわりついた彫刻が差し出されるとき、「のようなもの」としてしか名付けようのないそれは、既知のものとして表面的に受容している情報の背後の存在をほのめかし、認識そのものを強烈に引き裂こうとするだろう。そのような作品から垣間見えるのは、イメージや情報という非物質的なものを、物質と等価な素材として扱う作者の態度だ。断片の集合による表面の重層化には、物質とイメージの可視的な均衡状態が何より目指されている。

しかし、その視覚に依存する重層性や複雑性は、それが過剰であればあるほど、鑑賞の経験においてはよりいっそう空虚さを増幅させはしないだろうか。ただし、こういってよければそのような軽さをこそ、桑名は彫刻として誰よりも自覚し、引き受けようとするのだ。なぜならば、工程の終盤におこなわれる焼成が、制作プロセスにおいて不可避的であることは、それまでの制作行為の積み重ねを一挙に反故とする可能性をもつ。そのような行為主体としての制作者が徹底して他律的であることは、情報に対して受動的な主体と奇妙な符合をみせている。その意味では、桑名の彫刻はその存在論的な軽さによってこそ支えられている。

新作のひとつである《Edit Region》のシリーズは、かつて教会で見かけた石彫が参照項として採用され、文字が刻まれた中央に付随するように上部や下部などに異なる部分が集合して、ある形態をなしている。さらに、それら作品は「ヨロコビ」と「Pleasure」、「カナシミ」と「Sad」と対にして飾られることで、感情についてそれぞれ片仮名と英語で刻まれている説明が、情報の複数性と片方が他方と相関性をもつ部分であることを主張しながら、相似の集合体としての「のようなもの」を形成している。しかし、題名にある「編集可能領域」が、ウェブブラウザ上で複数の利用者によって自由に書き換えられる百科事典としての「wikipedia」を、その編集可能性というシステムによって擬態するとき、それが意味するのは複数の形態が統合されている作品自体が、それぞれの部分に対して交換可能性をもち、一時的な状態として留保されようとしていることだ。

桑名は常に作品がもつ絵画的性質によって、過剰なイメージを表層において操作するとともに、部分の集合としての彫刻においても、あたかも記号のように形態の交換可能性を保持し続けようとする。そこで要請されるのが、窓枠やテーブル、あるいは虎の置物といった器なのだろう。《The aspect to tableware(A Skull on Books)》が、異なる様式の柱とケトルのような形状をもつキッチュな柱が積み重ねられた《For New Palace#2》と同様に、テーブル、書物、書物、頭蓋骨という明確な層の構造を有することは、そのようなテーブル、あるいは柱の土台を基底材とすることで、断片としての文字の配列のごとく、縦列的な交換可能性を可視化させている。

そのような交換可能性が担保される状態とは、少なからず彫刻でありながら、形態の未決定性を備えもつという分裂的な症候を引き起こすことだろう。だからこそ、頭蓋骨の上部に穿たれた穴から溢れる水や、寸断されつつ繰り返される虎の鳴き声、明滅する蛍光灯の光といった、それら彫刻に対する余剰物とも思える性質が、テーブル=タブローとともに召喚され、作品そのものに流動的にまとわりつくのだ。桑名の彫刻では、キャンバスに描かれる絵画のごとく、おびただしい記憶とイメージが表層を蹂躙し、形態の決定を先送りするために水、音、光が、表層に滞留している。

森啓輔 もり・けいすけ
1978年三重県生まれ。専門は美術批評、日本近現代美術。現在は千葉市美術館学芸員。
掲載元:Tokyo Art Navigation “Artist Pick Up 2013”
https://tokyoartnavi.jp